2023年11月13日月曜日

筆談ボード製作会

 聴覚障害の人とのコミュニケーション方法の一つに、「筆談」があります。

紙のようにゴミにならず、繰り返し使えて見栄えも良いときわ虹の会の筆談ボードは、デビュー当初から大人気の商品でした。

ところが最近では、ほとんどの人がスマホやタブレットを持っている時代になり、便利で簡単になった様々なアプリを使いこなして、紙に文字を書く機会がどんどん少なくなりました。

何年か続いた新型感染症の時には人と人が対面で会う機会が減り、遠隔で出来るスマホでのコミュニケーションが加速しました。

それに伴い、需要が減ってきた筆談ボード。

もうひとつ、ときわ虹の会の筆談ボードがとっても丈夫にできているため、なかなか壊れないのです。
商売としては良いのか悪いのかわかりませんが、有難い事にずっと同じものを使い続けてくださっている方も多く、以前のような売れ行きはなくなってきました。

しかし。
そうはいっても、スマホやタブレットにだって弱点はあります。
例えば電池が切れてしまったら何もできなくなりますね。
飛行機や病院の精密機器の近くなど、電子機器が使用不可な場所もあるでしょう。
地図や絵を書くには、細かく消したり追加したりを手で行った方が速い場合もあります。

またスマホを持っていない方も多くいらっしゃいますね。

お年寄りが多く利用する薬局や、知的障害の方々のコミュニケーションには、サッと出してすぐに書ける筆談ボードがとても役立っていると聞いています。
委託販売として地域のお店に置かせていただいたり、イベントのブース販売ではやはり花形ですので、細々ではありますが改良を重ねながら新作を作り続けています。

今年度も、会員のみなさまと一つ一つ手作りで製作をしました。
新しく、ネームタグを付けてみることにしました、次に販売される筆談ボードには付いているかな!?

完成した筆談ボードが、必要とされている人たちの元で活躍してくれることを願って、検品しラッピング作業をしました。

一番は、和気あいあいと手を動かしながらの会員同士の交流ですね。




2023年11月11日土曜日

ときわ祭

 横浜市ろう特別支援学校の文化祭「ときわ祭」でブース出店しました。

まだ新型感染症の事もあり、ステージは保護者のみの観覧&午後の展示等は一般の人は申込制になっていて、以前のような活気はまだまだの感じでした。

その分、しばらく会っていなかった人たちや先生方とお話ができたり、また卒業生が先生に近況報告したりと、ゆっくり過ごすことができました。

毎年、中華菓子を寄付してくださっていた「華正樓」様からは、コロナの間はブース出展できなかったこともあってご無沙汰していたので、「どうしているか心配していた」と仰っていただいて、あたたかい気持ちになりました。

2時間ぐらいの販売でしたが、ブースに立ち寄ってくださった皆様、ありがとうございました。








横浜市保土ケ谷区社会福祉協議会 当事者団体部会参加

 保土ケ谷区社会福祉協議会の当事者部会に、オブザーバーとして代表と副代表2名で参加しました。

長く、保土ケ谷区障害者自立支援協議会の当事者部会に参加していますが、これとは別のものになります。

参加者の皆様は社協の方と、保土ケ谷区の各障害者協会、当事者・親の会等の5団体で、どのような活動をしているか、またときわ虹の会がどのような会かという紹介を含め、現在の状況をお伺いしました。

このような、当時者・親の会はどんな会議に参加しても似ているのですが、とにかく高齢化が進んでいるのが悩みです。
要因としては、今の若い障害者を持つ保護者の人達は、インターネットで簡単に情報が手に入ったりコミュニケーションを取れること、また医学や福祉が発達して障害が昔のように苦労するようなものではなくなってきたのではないかと感じます。
だから、集まって問題をみんなで考えなくても間に合ってしまう。

聴覚の世界だと、例えば最近では人工内耳は1歳から手術を行うことが出来るのですが、ほんの20数年前まではまだまだ専門の医師も少なかったし、保険も適応されていませんでした。
たった20年で、もう世代間ギャップはあるわけですね。
さらに1930年代から1990年代初めぐらいまではろう学校で手話が禁止されていていた歴史もあって(先生に隠れて手話で会話をしていた)、それは昔の事ではなくて、今ちょうど30歳ぐらいの方が生まれた頃の話だったりもします。

同じ聴覚障害でも、短い間で歴史も違えば生活も違う。人工内耳が当たり前の時代の人、手話で育った人、手話を禁止されて口で話すことを強要されていた人で価値観を合わせるのは、中々難しい事です。

どの障害でも、考えなければいけない課題や支援を必要としている人達はたくさんいて、なかなか若い人たちが後に続かない焦りともどかしさがありました。